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「子どもの権利条約」を日本が批准してから、今年で30年を迎えます。
しかし、依然として子どもの権利が十分に守られているとは言い難い状況が続いています。
政治や社会、そして身近な大人たちがどのように貢献できるのか、専門家へのインタビューを通じて考えていきます。
今回は、スクールソーシャルワーカーとして活動し、子どもの居場所を提供する「KAKECOMI」の代表を務める鴻巣麻里香さんにお話を伺います。
(※2024年12月10日 朝日新聞の記事を参考に要約しています。)
「親に殴られる」といった虐待や体罰、さらには子どもの意見を聞かない理不尽な校則に至るまで、スクールソーシャルワーカーとして多様な権利侵害の事例に関わることがあります。
子どもの権利について考える際、多くの大人が「特別な取り組みが必要」と身構えてしまう傾向があります。
しかし現実には、すでに多くの場面で子どもの権利が脅かされています。
そのため、大人がまずすべきことは、「害を与える行動をやめる」という基本的な姿勢を持つことです。
そして、子どもの話をしっかりと聞き、対話を重ねることが何より重要だと感じます。
私自身も昭和生まれですが、私たち大人は権利が十分に守られない時代を生きてきました。
子どもの願いや思いが聞き入れられることは少なく、ルールを破ればただ叱られて終わるのが普通でした。
そのため、私たち大人は無意識のうちに子どもの権利を侵害してしまう可能性があります。
まずはその事実を受け入れることが必要です。
また、大人は権利侵害を肯定するような考えを持ちがちです。
例えば、「体罰があったおかげで成長できた」と考えたり、仲間内で厳しい体験を振り返ることに心地よさを覚えたりすることです。
それでも、あれは権利侵害だったのだと認める勇気を持ち、それを子どもたちに繰り返さないよう心がけましょう。
具体的には、特別なことをするのではなく、日常の中で少しずつ変えていくことが大切です。
たとえば、容姿についてコメントをしない、性別で役割を決めない、必要以上に無断で体に触れない、趣味や予定を押しつけない、そして話を聞く前に決めつけない――こうした基本的な姿勢を意識していきましょう。
権利を正しく認識することは、私たち全員にとって必要不可欠です。
以前、学校で人権教育の授業を見学した際、「いじめを防ぐのは、見逃さない勇気!」というメッセージが強調されていたことに驚きました。
いじめは、生きる権利や教育を受ける権利、差別されない権利といったあらゆる子どもの権利を侵害する行為です。
しかし、その権利について教えるべき授業が、勇気や思いやりといった道徳にすり替わってしまっている現状がありました。
こうした考え方が、少数派の権利について「多数派が思いやりで接すればよい」という認識を生む原因になっているのではないでしょうか。
権利とは何か特別な「付加価値」ではなく、私たちが生きる上で必ず守られなければならない基本的なものです。
そのことを子どもたちにしっかりと伝えるとともに、大人自身も改めてその重要性を心得る必要があります。
子どもの権利の4原則には、(1)差別の禁止、(2)子どもの最善の利益、(3)生命・生存および発達に対する権利、(4)子どもの意見の尊重、という項目があります。
どれも重要ですが、すべての基盤となるのは「子どもの意見の尊重」ではないでしょうか。
「子どもの意見を聞く=そのまま言いなりになる」と誤解されることがありますが、本質は、大人の意見と子どもの意見を同等にテーブルに載せ、対話を行うことです。
「わからない」「別に」と答える子どもであっても、そこで決めつけるのではなく、根気強く聞き続けることが重要です。
聞かれる経験が積み重ならなければ、自分の意見を言う力を失ってしまうことがあります。
また、聞くだけで終わらせず、対話を実際の行動につなげることも大切です。
子どもの権利について考えるとき、大人自身の権利が守られているかどうかを見つめ直す機会にしていただきたいと思います。
大人が苦しい状況に置かれると、余裕を失い、子どもを過剰に管理したり、時には体罰に至るケースもあるでしょう。
それは結局、子どもの権利を脅かすことにつながります。